名誉教授

名誉教授

高良 有政

研究教育活動
「黒板前の一回転人生とシャーマニズム」

- アカデミズム半世紀の限界と成果の「赤い鳥」-

 太平洋戦争戦の年に生まれたが、出征した父の戦死等で「戦災母子家庭」となってしまった。そして戦後の食糧難で餓死やマラリア等の地獄も身近に体験することになった。それで、小さい頃から「貧困と戦災」の克服が生涯の研究課題となったのだ。そこで、経済科学を専攻して半世紀になり、「黒板前の一回転人生」の大円満を迎えたわけだ。つまり、若いときは、黒板の前で勉学し、大人になっては、黒板を後にし講義し、一回転の半生を過ごしてきたわけだ。

平良 研一

研究・教育活動

 平良研一先生は、大学時代(東京外国語大学ドイツ科)にドイツの教養小説(教育小説)に興味を持たれ、トーマス・マンの「魔の山」を中心に「教養小説」をめぐる問題を取り扱ったことが契機となって「教育学」に興味が移り、東京都立大学大学院に進み、当時社会教育学の重鎮と言われた三井為友教授と出会ったことで社会教育学の道へと進まれることとなった。60 年安保闘争をめぐる社会・政治運動に触発され、参加することによって、教育労働問題、とくに社会教育の領域、労働組合運動と学習のあり方や市民運動、平和運動等の研究に入っていかれた。

 先生は大学院を終えて復帰前の沖縄に戻られ、1967 年、当時、学園民主化闘争で騒然とする沖縄大学に講師として赴任され、教職員組合活動の中で、劣悪な研究教育条件の下に置かれていた沖縄の大学問題(特に私学)、教育における「沖縄問題」に強い関心を抱かれた。

平良 朝男

研究活動・教育活動

 平良朝男先生は、東北大学を卒業後、沖縄に戻って高校教諭、日本システム・マシン(株)、富士通ファコム(株)の電子計算機部門勤務を経て(財)沖縄経済開発研究所に入所され、統計数字に強い理系のバックグラウンドを活かし、沖縄の経済開発に関する研究活動を同研究所で5年間にわたって展開された。

 この経験をもとに経済統計の専門家として1974年に沖縄大学に講師として採用され、国民経済所得論、経済学などの科目を担当された。また先生は、日本経済政策学会、沖縄経済学会、全国日本学士会、日本港湾経済学会などに所属され、沖縄県の経済社会発展の将来像を描く研究活動を精力的に展開された。そうした研究成果をまとめた著作の一つに「日本の一国二制度」(本の泉社、1998年刊)がある。地方分権としての一国二制度により、海洋国家琉球の風をふたたび巻き起こそうというのが先生の政策提言の柱である。

佐久川 政一

研究・教育

 佐久川政一先生は、大学で憲法や「平和と人権」について講じ、1989年から1995年まで2期6年の間、第13代・14代学長として沖縄大学の先頭に立たれただけでなく、沖縄の地に根ざした平和運動を一貫して続けて来られました。そうした先生の生き方を「わたしの歩んだ道」(『下勢頭誌・戦後編』2005年8月、361頁~372頁)として先生が自ら執筆されたものから抜粋し以下に紹介させていただきます。

組原 洋

研究・教育活動

 1972年に大学を卒業後、74年に司法修習を修了した。沖縄には79年に初めて来て、弁護士として活動していたが、80年から沖縄大学の専任教員になった。

 81年度から法人類学の講義を設置担当し、97年度に比較法文明論と改称して現在に至っている。この科目は、法をたんに条文だけで考えるのではなく、社会全体の構造の中で法の機能を考えていこうとするものであり、世界各地の法のあり方を比較の中で考えていこうとするものである。

 法人類学を設置してからしばらくは、個人的な興味から、アフリカ(81年)、ソ連とモンゴル(82年)、アメリカ(83年)と旅行した。85年度は1年間無給休職してブラジルに住んだ。87年春に中国に行ってみて、日本と中国とでは共通の素材は多いが、社会の構成の仕方は全然違うと思った。一方、沖縄にいる関係から、東南アジアのことも絶えず興味を持って眺めていて、旅行もしてきている。そういうことで、講義では、日本との比較の対象として、欧米と並んで、中国、東南アジアを取り上げることが多かった。

狩俣 真彦

研究・教育

 狩俣真彦先生は、沖縄大学の前身である沖縄短期大学が開学した1958 年(開学式は6 月10 日に開催される)の10 月に沖縄短期大学の講師に着任され、沖縄大学が開学した1961 年4 月には沖縄大学法経学部助教授に就任されている。そして2002 年に退職されるまで、足掛け45 年にわたって沖縄大学で教鞭をとられて国際経済学、地域国際化論などを講じ、また2 度にわたって図書館長を務められた。さらには1995 年から2001 年までの6 年間、第15 代・第16 代の2 期にわたって沖縄大学学長として大学行政をリードし、法経学部の改組転換、人文学部の創設を成し遂げるなど、まさに沖縄大学の発展のためにその半生を捧げられた。

狩俣先生にとって学長として最後の卒業式となった2001 年3 月16 日の卒業式(これはまた沖縄大学にとって21 世紀になって初めての卒業式でもあった)における学長告辞の中から、先生の学生たちに贈ることばを以下に抜き出してみよう。

加藤 彰彦

研究活動

 1945年3月の東京大空襲で妹を亡くし、子どもが安心して育つ社会と時代をつくることが生涯のテーマとなった。

 また、大学時代に事故のため生死をさまよい<生きることの大切さ>と、人生における<子ども時代>の大切さを痛感。

 大学時代から<子ども研究>を自分のライフワークとして今日に至っている。

 卒業論文は「大衆児童文学論」。子どもについて、民俗学、社会学、人類学、心理学等、多様な視点から研究するようになる。

 大学卒業後、小学校教師を4年つとめ、全国の共同体を訪ねる旅を4年。30歳の時に「不可視のコミューン」を出版する。

 以後、横浜市のスラム街で生活相談員を10年、児童相談所のケースワーカーを10年つとめ、1991年より横浜市立大学の教員となり、社会福祉、子どもソーシャルワークの研究に集中する。実践と研究を両立するため、神奈川県ボランティアセンター、地域の不登校児童のサポート活動も続ける。

 2002年に沖縄大学の教員となり、沖縄県の子ども問題の調査、研究に力を入れる。「沖縄子ども研究会」を設立し、県内の様々な団体、サークル、グループ、研究者と協力し、「沖縄子ども白書」(2010年)をまとめる。

大嶺 哲雄

主な研究活動とその概要

 主として琉球列島の自然環境の基礎的解明。生物科学系―分類学、生物地理学、動物生態系における土壌動物群を対象。特に節足動物門多足類(ゲジ目、ムカデ目、ヤスデ目)と菌類―冬虫夏草属に関する種の多様性およびその地理的分布、拡散、絶滅等のメカニズムの解明を目的とする。研究活動としては、通常の自主的フィールドワークの他に、学外との共同研究と合同調査として、①「琉球列島の自然とその保護に関する基礎研究シリーズ(琉球大学―’73年~’75年)、②第二次調査’88~‘89年に従事(文部省科研対象)。③米国ハワイ大学―資源および島嶼性環境研究調査(米国国務省)’94~’96年―合同調査に従事。その他に④沖縄県環境保健部―自然保護課-による絶滅危惧種の調査や⑤西表島の冬虫夏草探査(日本冬虫夏草の会主催)などに従事。

 活動期間:1958年―2003年までの55年間。おもな島嶼:奄美諸島、トカラ諸島、沖縄本島と硫黄鳥島を含む各諸島、宮古島諸島 八重山諸島(特に西表島を中心)、南・北大東島など。

活動目的

南西諸島の多足類相の特性とその解明。 科学研究助成金(文部省)

琉球列島の土壌動物と森林環境への影響(森林保護の立場から)調査。(米国ハワイ大学共同研究助成)

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