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「環境文化論講座」第1回について
更新日:2007年04月03日
**第1回講座の内容を市民記者の西脇さんが記事にしてくれました。全文を掲載します**
沖縄大学の環境文化論講座第1回「『やんばる』から見えてくるもの──自然と暮らし・開発、そして未来へ──」が17日、那覇市の沖縄大学ミニシアターで行われた。
環境文化論講座は自主講座と銘打たれている。自主講座といえば昨年亡くなられた宇井純さんが思い出される(注1)。この講座は、その宇井さんの志を受け継いだ有志の学生、卒業生、教職員によって企画・運営される。特に、学生たちから上がった「自分たちで本当に学びたいことを」という声を受けて、大学が原点に立ち返ることを目的のひとつにしている、という。
地域の人々を対象に、そして地域の人々と共に、沖縄の自然環境が置かれている状況、打開策などを探っていくのも、もう一つの目的だ。ここでいう「環境」とは単に自然だけでなく、私たちを囲むすべてのもの、との観点から、「いのち」と「つながり」をキーワードに幅広い分野の講師を招く予定、という。
第1回目の講師は浦島悦子さん。名護市在住のフリーライターだ。昨年出版された『シマが揺れる』(共著。高文研)で、写真家・石川真生さんの写真と共に、米軍基地に揺れる沖縄島北部の人々の生活を淡々と、しかし極めて優しく伝えている(注3)。同じく昨年12月には、その粘り強い取材が評価され、反核や平和を推進する報道に贈られる「第12回平和・協同ジャーナリスト基金賞」で、『辺野古 海のたたかい』(インパクト出版会)が奨励賞を受賞している。
浦島さんは第1部で、スライドを使いながら「やんばる(沖縄島北部一帯を指す)」を取り上げて解説した。かつての住民の生活跡である炭焼き釜、美しいサクラツツジ、「鈴を転がしたように囀(さえず)る」アカヒゲなどの映像を紹介。絶滅危惧種のノグチゲラについては、椎の木に営巣するが、最近は大きな椎の木の伐採で減少しており、皮肉なことに米軍の北部訓練場(注2)の中が一番豊かではないかといわれている、と話し、ヤンバルクイナは開発による様々な被害を受けて、減少が深刻になっている、と指摘した。
次に、新たな基地建設が予定されている大浦湾のマングローブ林について、語った。マングローブ林は海からは魚が産卵に訪れ、山から流れる川の水はマングローブ林によって浄化され、その後海に放たれ、生態系の維持に寄与する。辺野古の浅瀬には太陽光が届くことによって育つ海草が繁茂している。ジュゴンが食べるのはこの海草だけだという。これら豊かな自然のサイクルを潰してしまう基地建設には当然、反対と述べた。
さらに、開発に晒される前の、主に30〜40年前の沖縄の風景を紹介した。羽地のターブク(たんぼを指す)、また、ナングスク(名護グスク)のターブクと段々畑の風景に、私は驚かされた。ターブクはともかく、沖縄の段々畑の風景を見たのは、まったく初めてだったからだ。
スライドは、建設中の大保(たいほ)ダム、大国林道、U字溝(小動物には地獄の落とし穴!)から出られなくなった山亀など、開発による自然破壊の惨さも、映し出した。防衛庁予算によって基地の街に建設された「ジョウトウな」施設。8億円を使ったという辺野古の地区会館。基地の見返りだが、果たしてこれで地域がよくなっているのか、と浦島さんは疑問符を付けた。
第2部で、浦島さんは個人史を語った。辺野古の海上阻止行動などにも参加した「運動家」の浦島さんだが、「人が動くときは、何かしら内的な動機があるとき」だという。浦島さんの原点は、九州大学の学生時代に起きた、大学への米軍機墜落事故だ。そこから学園闘争への参加、水俣病に衝撃を受ける。上京後、編集の仕事に携わりながら三里塚、女性解放運動などにも関わるが、「自分の存在の奥底にぽっかり空いた穴を埋めることができなかった」
結婚した浦島さんは奄美大島で有機農業に取り組む。都会生活で感じていた空しさも、土に触れる生活のお蔭か、いつのまにか埋められていた。その後、離婚し、母子2人で沖縄へ。以後、基地反対運動に関わり続ける。それまでの経験から「守りたいもの」があるので動いてしまうが(運動に関わるなど)、それはあくまで結果だという。山に入ることで自ら癒されるが、同時に破壊の爪あとを見るにつけ、自分の身体が切り刻まれるように感じる、という。
華奢な身体を張って基地反対運動を続け、また書くことによってそれを伝えてきた浦島さんだが、周辺からは「本土」の人間への風当たりは当然、受けた。「あなたは帰る場所が他にあるからいいが、私たちはここに居る以外にない」と友人からいわれることもあるという。「沖縄と日本の歴史を知れば、ウチナーンチュ(沖縄人)がそういうのもよく理解できる」としながらも、「だからといって、私がここを去れば解決するかといえば、そんなことにはならない。だから私はここに居続ける」
「(昨今の沖縄への)移住ブームで『沖縄がヤマトゥンチュ(日本人)から奪われるのでは?』とウチナーンチュが危惧するのも、よく分かる。『ヤマトゥンチュは帰れ!』というのも当然かもしれない。それでも私は針の筵(むしろ)に座り続けねばならない(そういう反発があったとしてもそこから逃げない、の意だ)。たとえ基地が建設されたとしても、私はここに居続けるだろう」
浦島さんの話を聴いていて強く心に残ったのは、その「伝え方」だ。美しい「やんばる」の自然、かつての生活文化の写真資料などで視覚的に訴えることから始め、開発の爪あと、基地建設への賛否によってコミュニティが分断されていくことへの肉体的な拒否反応という感覚面での訴えへ続けた。さらに個人史を明かして、一個の人間としての基地反対運動などへ関わる根拠を示した。
「基地反対!」と声を上げる時、その「圧倒的な正しさ」は、時に多様な他者へのコミュニケーションを閉ざす結果を生むことがありはしないか?対象への関わり方は人それぞれ違うのであり、互いの違いを認めるからこそ繋がることができるという態度の方がかえって伝わるのではないか? と感じている記者にとって浦島さんの手法はとても頷けるものだった。
市民運動の世界にもある男尊女卑に異を唱え、かといってウーマンリブに奔ることもなかったという浦島さん。そのバランス感覚の源はどこにあるのだろう?「『自分の存在の奥底にぽっかり空いた穴』をどのように埋めることができたのか?」との会場からの質問に対し、「土に触れた自然の中での生活が大きい。しかし大事なのは外的な自然のみならず、内なる自然に耳を傾けることです」と確信を持って応じた。このあたりに答えがありそうだ。
(注1)公害問題と対峙した宇井純さんを悼む
(注2)訓練中米兵に環境教育?沖縄ヘリパッド問題
(注3)『シマが揺れる』
(2007/3/22 西脇尚人)





































