下村 英視

研究活動

 高校生の時、滝沢克己とサルトルを読み、この世界に入りました。当時、カフカやカミュの文学作品――彼らは、人間存在の不条理を描いた――に触れておくことは若者のたしなみでしたが、私にとって、滝沢克己の著作は、それらとは別次元のリアリティをもって迫りくるものがありました。恐らく、それは、知識ではなく、知ろうとする者の態度に関わる知的な啓示のようなもの、と言うことができるでしょう。こんなに深く真実を追求している人がいるのだということを知った時の驚きは、今でもはっきりと覚えています。学び続ける者の姿勢をまだ高校生であった私に強く印象づけてくださったこの人に、一歩でも近づきたい。そう思って、40余年。私の研究は、今でも滝沢克己を目指して行われています。

 もっとも、その語り方は大いに異なります。私の手法は、過去の哲学者の文献研究――もちろん、これは思考のトレーニングとしてなされなければならない――から現代を問いなおすことに向けられています。現代、それは一時期、「ポスト・モダン」と表現され、さまざまな言説に彩られましたが、しかし、私の理解では、私たちはいまだに「モダン」のなかにあります。素晴らしい文明を築いた人類が、その一方で、差別、汚染、戦争を抱え込み、多くの人を犠牲にしていることは、異論のないところでしょう。今の私たちの生き方を縛って揺るがない価値を伴った思想――近代思想=合理主義の精神――を再検討することによって、人間の在り方、生き方が、問われ続けられなければなりません。理性の脆弱さを正視しながら、なおかつ、理性に頼って生きていくしかない人間の生を、少しでもましな方向に向けるための知的な鍛錬を共にしていただけるよう、そのための基礎理論を提出することが私に与えられた役割だと考えています。

教育活動

 私にとって、研究と教育は切り離すことができません。そもそも、何が大切かよくわかっていない人が、その分野の教育などできるはずがありません。研究よりも教育の重視などということは、欺瞞の極みです。そこから私の講義は、共通科目の「哲学」、「倫理学」から、専門科目の「福祉の倫理」まで、人間の本質に対する問いとして在り続けています。そもそも、私たちとはいかなる存在なのか。そして、福祉とは、人間の生を肯定することですが、そのときの人間にとっての「よさ」とは何か。

 実のところ、私たちが生きている世界は、単なる物理的構造の世界ではありません。様々な経験を通して意味づけられた世界です。では、その意味とはどのようにして生じるのでしょうか。そして、つくられた意味の世界を人間はどのように生きるのでしょうか。私の授業では、皆さんに、意味が生まれつつあるその場に身を置いていただくとともに、私たちが生きている世界の構造を暴く哲学の方法を体験していただいています。

学内活動

 人が言葉を語るのは、言葉に託した意味を他人(ひと)へ送り届けるためです。それならば、書物を書くことも、書き手が伝えたいと思っていることを言葉にして、読者に送り届けることにほかなりません。読者は、それを読み、書き手の差し出す意味を受け取るのです。書かれたことには、書き手の人生の真実が込められ、読み手は、それを掬い取り、その意味をともに生きることになります。読書とは、そういった人と人との出会いであり、人生をともにすることです。そこで初めて、書物を読むことが成り立ちます。このことを皆さんに大学で経験していただきたいと、切に願います。

著作・論文

『星ふるさとの乾坤―星塚敬愛園を生きた人々―』(鉱脈社)、

『言葉をもつことの意味―秩序をつくる言葉 それを乗り越える言葉―』(鉱脈社)、

『もうひとつの知』(創言社)以上、単著のみ記す。

氏名: 
下村 英視
氏名アルファベット: 
SHIMOMURA Hidemi
写真: 
主な担当科目等: 
哲学、倫理学
専攻: 
学・哲学史専攻、専攻学科目倫理学・倫理学史 (九州大学大学院文学研究科博士課程)
最終学歴: 
博士(学術)千葉大学(論文)
モットー: 
無碍光明破無明闇恵日
学位: 
博士(学術)千葉大学(論文)
生年等: 
1954年