2019年度 沖縄大学・大学院 入学式を挙行しました。

2019年度 沖縄大学・大学院 入学式を挙行しました。

2019.04.02

201942日、本学体育館にて2019年度沖縄大学・大学院入学式を挙行しました。今年度より新たに開設した「健康栄養学部」の新入生も加わり、3学部、大学院合わせて632人が、大学生活をスタートさせました。

 盛口満学長は式辞で、それぞれの人生の中で大学生活という場を選んでくれたことに歓迎の思いと共に「一緒に健闘していきましょう」とエールを送りました。

 その後は各学科に分かれてオリエンテーションが行われ、教員紹介をはじめ、これからの大学生活についての説明や健康栄養学部の学生は校舎(4号館)の見学も行われました。

             2019年度 沖縄大学入学式 学長式辞

学長 盛口 満    

 

 本日ここに、知念副市長を始め来賓の方々、同窓会・後援会のみなさま、ご父母の方々など多数の皆様のご臨席を賜り、2019年度沖縄大学の入学式を挙行できることは、誠に喜びに堪えないところでございます。

 先ほど入学を許可しました法経学部277名、人文学部270名、健康栄養学部81名、大学院現代沖縄研究科  4名、計632名の皆さん、ご入学おめでとうございます。ご列席のご父母そしてご家族の皆様にも、心からお喜びを申し上げます。

国公私立大学併せて、全国には800近くの大学がありますが、その中で、沖縄大学への進学を選んでくださったことを、沖縄大学の関係者全てが大変嬉しく思っております。

今年からあらたに学長になりました盛口です。こうした式典でお話をするのに慣れていなく、少しまとまらないお話をしてしまうかもしれませんが、どうぞ、ご容赦ください。

 私立大学には、必ず始原にさかのぼる物語があります。あるとき、ある場所で、「ここに大学を創らなければならない」と強く思った人がいるからこそ、そこに大学が存在しているのです。これは沖縄大学も例外ではありません。

 沖縄大学の創立は米軍統治下の1958年のことです。当時、沖縄には米国の軍政府令によって設立された琉球大学があったのみです。沖縄大学を創設したのは、実業家の嘉数昇先生です。米軍統治下にあり、「本土」への渡航もままならない中、尚学の志に燃える青年たちに学問の場を提供したいという先生の強い思いを以て、沖縄大学は創立されました。そして、その思いをつなぐ人々がいて、今、こうしてみなさんがここに集っているわけです。

今年、健康栄養学部が開設され、沖縄大学に、また、あらたな歴史が書き加えられようとしています。これまで県内には同様の学部がなく県外への進学を余儀なくされていた高校生のみなさんにとって、県内で管理栄養士をめざす道がひらかれました。ほかの学部のみなさんにとっても、今までにない学部の誕生で、あらたなキャンパスの雰囲気が生まれる中での入学となります。このように、新入生のみなさんそれぞれにとってだけでなく、大学全体に、何かあたらしいことが始まる予感が満ちています。

さて新入生の皆さんは、新たに始まる大学生活に、どのような思いをもっておられるでしょうか。その思いは、きっとひとりひとり、違っていると思います。

自分の夢の実現にむけての第一歩を踏み出そうと強く思っている人もいるでしょう。一方、あらたな生活に対しての期待とともに、不安を持っている人もいるのではないでしょうか。

思い返せば、私も30年以上前、大学生だったころがあります。私は記憶力があまりいいほうではないのですが、入学後早々のある日のことはなぜか今も覚えています。もう、なんの授業だったかは覚えていないのですが、教室の中で先生の話をなんとなく耳にしながら、ふと窓の外の風景に目を走らせました。そこから見える風景は、その数か月前まで当たり前のようにながめていた、高校の教室の窓からの風景とは全く別のものでした。そのとき、ある不安のようなものが心をよぎったのです。自分は、なぜ、ここにいるのだろうと。教室にいるのは本当の自分なのだろうかと。みなさんも、これからの大学生活を送る中、なぜ、今、自分はここにいるのか、そんな思いを抱くことがあるかもしれません。

私がこれからみなさんにお話しをしようと思うのは、大学生活に関係しているかどうかに限らず、もし自分が不安に思った時には、こんなふうに思ったらどうかというお話です。

それはなにかに迷ったとき、少し「フライング」してみるということです。

さまざまな迷いをへながら、私は大学を卒業し、今から34年前の22歳のとき、高校の教員になりました。私の勤めたのは、埼玉県にあるちょっと変わった私立学校でした。入学試験もかわっていて、ペーパー試験のほか、面接や表現力などの試験科目がありました。できるだけ多様な個性を持つ生徒たちを入学させたいという目的からで、今のAO入試に近いものだと言えると思います。私の勤めた学校では、生徒たちの学力もばらばらで、同じ教室に国立大学への進学を希望する生徒から、中学生で学ぶ漢字もきちんと覚えられていないという生徒まで一緒でした。校則もほとんどなく、服装も自由。定期試験もありませんでした。生徒たちの自主的な学ぶ力を育てるということが目的のためでした。ただ、こうした場に入学した生徒たちの中には、自由であることから「何をやったらいいかわからない」ととまどってしまう者もいました。また、目の前の自由さにうかれて遊びまわってしまうという者もいました。こうした学力に大きなちがいがあるし、学校生活でのふるまいもさまざまな生徒たちを指導する教員は大変でした。この学校ではクラス替えが3年間なく、担任も1年から3年までかわらなかったのです。大学を卒業して間もない新米教師にとっては、どうしていいかもわからずテンテコ舞いの日々が続きました。しかし、一回、二回と担任を経験するにつれてわかったことがあります。どんなに生徒指導が大変でも、3年後には卒業式があります。そして、指導が大変だったときほど、卒業式での彼らの成長ぶりに感動したりするのです。そのことに気づいてからは、生徒指導で立ちすくんでしまった時、「卒業式のときの自分」に気持ちをフライングさせて、物事にあたるようになりました。

誰でも、自分が人生の主人公です。ただ、人生というのは、終わるその直前になるまでは、どんな人生だったかわからないものです。映画やドラマでも、最後にどんでんがえしがまっているということがあります。そしてストーリーの途中に差し込まれる小さなエピソードが、そのどんでんがえしの伏線であったりします。私たちが送っている、今、このひと時も、人生にとって何らかの意味がある出来事かもしれません。例えばここでフライングをしてみることにしましょう。私が80歳になり、もうしばらくしてその一生を終えるというとき、今日、この日、壇上にたってみなさんに話かけたことは、実は……という、ある重要なエピソードに繋がっていたということをしみじみ思いだすということもありうるわけです。ひょっとしたら、みなさんは、これからの大学生活の中で、そうした重要な意味を持つ出来事に出会えるのではないでしょうか。大学生活を送りながら、少しフライングをしてみて、「ああ、今自分がやっていることは、ひょっとして」と思ったり、「せっかくだから、未来の自分が振り返ったときに」と思って、何かに取り組むことがあってもいいかもしれません。

もう少し考えてみましょう。私たちは、ひととき、ひととき、未来の自分にとっての過去をつくりだしています。過去を変えることはできません。ただ、人間は、過去の意味づけを代えることはできるのです。「じつはあのときがきっかけだった」というようなことを言えるのは、未来の自分があとづけをして、そういっているにすぎません。逆に言えば、同じできごとでも、どのような意味づけをするかはそのときの自分次第だと言えます。私が大学一年のある日、教室の外をながめて不安に思ったとき、「将来、学長になったときに、入学式でこのことについて話したらいいんじゃないかな」なんて、つゆほども思ったわけではありません。今回、入学式で何か話をしなくてはとあれこれ考えた時に、ひょっこり思い出したのが、このエピソードだったのです。そして、大学生活に不安を覚えたことも、今、こうしてみるとちゃんと意味があったとわかるわけです。フライングをするということは、今の自分の考えややっていることを、今の自分だけで判断せず、将来の自分の判断や意味づけに担保しておくという意味もあるのです。

人生というのは、複雑です。これからの大学生活で、いろいろな出会いがあり、悩みや葛藤にも出会うでしょう。それが将来どんな意味をもっているのか、それは誰にもわかりません。ですから何か迷いをもったとき、今の自分に少しだけ距離を置いて考えてみる。そんなアドバイスをしたくて、このようなお話をさせていただきました。

みなさんそれぞれの人生の中で、大学生活という場を選んでくださったことを、大学人の一人として歓迎します。大学生活にはさまざまな出会いが待っています。一緒に健闘していきましょう。

あらためまして、新入生のみなさん、入学おめでとうございます。

 これで学長式辞を終えたいと思います。