ロゴ 沖縄大学TOPへ 緒方ゼミTOPへ
シムクガマの奇跡

【資料2】 チビチリ・シムク

沖縄県、読谷村字波平。そこには対照的な二つのガマがある。ガマとは、沖縄で鍾乳洞のことを言う。戦時中、多くの人々が避難壕として使用した。今でも大きな口をぽっかり開けてひっそりとたたずんでいる。チビチリガマとシムクガマ。それぞれ、皮肉にも悲劇とでも言えるような大きな違いがある。

チビチリガマは、住民141人が避難した。アメリカ軍の投降勧告を拒否し、竹槍で突撃したため攻撃を招いた。「日本人なら天皇陛下バンザイして、自決すべきだ」このような言葉が人々の口から漏れ始めていた。チビチリガマには非国民はおらず、一人残らず命令に従った。住民は互いに包丁で首を切り毒薬を注射し「集団自決」という結末を迎えた。チビチリガマで141人中84人が命を落とした。

チビチリガマのすぐ近くにシムクガマがある。ここで一本の川を境に、その運命を切り分けた。生きるか、死ぬか。当時、約1000人あまりの住民が避難した。それほど多くの人が入れるような大きな鍾乳洞なのだ。シムクガマの入り口は、高さ7、8メートル、横幅10メートルあまりある。大きな入り口を敵の目からくらますために、竹や木の枝などでカムフラージュした。人々は音に敏感になった。奇妙な音にはすぐ脅えた。住民は追い詰められ、一箇所に固まっていた。彼らの恐怖感が、いったいどのような事態を引き起こすのか。ここでも「自決」の意志が1000人の心を揺るがす。

チビチリガマでも聞かれた救助の言葉が、シムクガマでも聞かれた。「カマワン」という言葉だ。「構わない」、それは「大丈夫である」ことを意味すると思うだろう。しかし、実際そうではなかった。「かまわん」「かむわん」「かむおん」「Come on」これは、英語の「来い」を意味していたのだ。助け出そうとするアメリカ兵の言葉を人々は頭から信じなかった。

シムクガマの中にハワイ移民帰りの二人の男性がいた。彼らは、英語が話せた。米軍の投降を促す放送の意味も理解できた。アメリカ軍に「民間人しかいないから、攻撃しないで」と交渉。そして、誰一人命を落とすことなく全員が助かったのである。

■ 感想

対照的な二つのガマは、生きるか死ぬかという二つの運命をたどることになる。シムクガマは、たまたまそこにいた比嘉平治さんと比嘉平三さんのおかげで全員が助かった。2人にとって、住民への説得は勇気のいることだったと思う。 私たちは、この二つのガマで起きた真実を忘れてはいけない、そう思った。(伊村麻衣子)

戻る

Copyright(C)2006 Okinawa University ,All rights reserved.