『旧琉球政府立法院議事堂の保存活用』に関する県内大学有志のアピール

 戦後沖縄の歴史は、米軍の直接支配と、これから離脱する方途を「日本復帰」に求めるという沖縄民衆の闘いを軸に展開された。

 沖縄は、一九五一年にサンフランシスコ平和条約が調印されて、北緯二九度以南の奄美諸島とともに米国の施政権下に入った。翌年、米国民政府は、三権分立の原則に基づいた琉球政府を設立し、住民の公選による立法機関としての立法院を設置した。確かに、米国民政府の公布する布告・布令・指令によつて琉球政府の立法権はしばしば侵害され、六八年の一一月まで行政主席も米軍による任命制であつたという屈辱的事実を看過することなど許されるはずもないが、しかし住民によつて選ばれた代表が占領統治下の圧政に抗し、米国政府はもとより日本政府に対しても主権者たる住民の利益を直接代弁したことの歴史的意義は大なるものがある。

 さて、こうした沖縄における戦後民主主義の試練の場となつたのが、旧琉球政府立法院議事堂である。立法院議事堂は、一九五四年七月に民主主義の樹立と自治の確立という、その理念に沿った沖縄最初の画期的な公開競技設計方式によって誕生した。設計を行なつた故大城龍太郎氏は立法院議事堂の建設に「沖縄の自治権拡大と民主主義実現への熱い思いと、そして二度と戦争には巻き込まれまいという強い願いをこめた」といわれている。

 この立法院議事堂が竣工した一九五四年当時といえば、戦後沖縄の民衆運動を考察するときに特筆されるべき「島ぐるみ闘争」の前段楷にあたり、沖縄民衆に「沖縄の自治権拡大と民主主義実現」の気運が澎湃と沸き起ってくる時期にあたる。立法院議事堂は、民主主義や自治に対する当時の沖縄民衆の高揚した意識を背景に、議会制民主主義の期待を一身に集めて呱呱の声を上げた記念碑的建造物であることを忘れてはなるまい。

 立法院議事堂は、沖縄のみならず日本においても、米軍統治下の歴史を今にとどめるただ一つの主要建築物であり、その歴史は米国施政権下の戦後沖縄の歴史そのものであつて、立法院議事堂の白い壁や柱には沖縄の希望や苦悩が刻み込まれている。また、立法院議事堂は、琉球政府の立法府としてだけではなく、「復帰後」は沖縄県議会としての歴史を有している。その建築的価値に加えて、議事堂は復帰前の米軍統治下の琉球の歴史と後帰後の沖縄の進路を決定した歴史的舞台でもあつた。その意味で、立法院議事堂は、沖縄における戦後経験の原点であり、民主主義の樹立と自治権の確保を求めつづけた苦難の歴史を語るさいの原風景の一つであるばかりでなく、他の府県にはみられない、この特異な歴史体験を後世に伝えるメモリアルでもある。

 しかし、その沖縄戦後史の歴史的価値を体現した立法院議事堂及び事務局棟は、現在、解体撤去工事が進められているが、その跡地の大部分はなんと「駐車場」として利用されるという。戦後沖縄史を象徴する建造物が解体撤去され、駐車場へ変貌する様は正視するに耐えない。

 幸い、大田知事は、「増築部分から段階的に撤去して、立法院議事堂を残した状態を県民に公開し、保存に耐え得るか考えて貰うように指示した」と言明され、九月下旬以降に県民に対し立法院議事堂を見学する機会をもつことを表明している。その点で、立法院議事堂の保存活用についてはまだ充分に可能性があり、いま問われているのは立法院に対する県民一人一人の歴史認識だといえよう。

 事務局棟の撤去は止むを得ないとしても、せめて立法院譲事堂は、米軍統治時代の「琉球」、復帰以後の「沖縄」の歴史を物語る貴重な歴史的建築物であることを認識し、沖縄戦後史を末代に伝える記念館等としての保存活用をこそ考えるべきである。


立法院議事堂の保存活用を訴える県内大学有志

一九九三年九月一七日


注)同日現在、107名の連名だった。なお、転載に伴うミスがあろうかと思いますので、ご注意下さい。