久米島・具志川村のショウキズイセンの群落
数年前に、久米島の具志川村で、ショウキズイセンの活用について議論したことがある。
ショウキズイセンとは、ヒガンバナ科のショウキズイセンのことだが、むかしは沖縄の野山にたくさんあった。しかしきれいなものだから、採って自分の庭に植える人が絶えなかった。気がついてみると、自然界では見当たらなくなっている。
自分の庭に取り込んでしまったら、地域の資源ではなくなってしまう。増やして、野に戻し、群落がつくれないか。そうなればみんなが楽しめるようになる。そしてそこに住む人が楽しみ、誇りに思えるようなものができれば、観光資源としても活用できるのではないか、と主張した。
とは言ってみたものの、球根を増やして群落をつくるには、はたして何年かかるか見当もつかなかった。ところが具志川村では、3年ほどで見事な群落をつくってしまった。幸いショウキズイセンが好きで、球根を増やしている農家があったのだ。具志川村では農家から球根を買い上げて、県営だるま山園地などにショウキズイセンの球根を植えた。
ヒガンバナについてもう少しふれておこう。別名、曼珠沙華、仏典で赤い花という意味だという。いまでこそあまり人々の注目を集めなくなっているが、かつては大切な植物だった。
ヒガンバナというと赤い花を思い浮かべる人が多いが、実は鹿児島にはシロバナヒガンバナという白い花もある。またヒガンバナ科ショウキズイセンの花の色は黄色で、中国、台湾、沖縄、九州、四国などに分布する。
ヒガンバナは東アジア特産の植物で、日本では東北地方南部以南の山ろく、路傍、田のあぜ、土手などの人里近くに野生している。しかし人の手が加わったところにしか生えていないから、移入植物だと考えられている。
方言名は驚くほど多く、全国で1100余の呼び名がある。ヒガンバナ研究家の松江幸雄によれば、一種類の植物でこれだけ多くの呼び名をもつものは他にない。このことはヒガンバナの広範囲に渡る分布と、人々の生活と密接な関係を物語っているという。
日本には、米食民族が救荒植物として持ち込んだという説が有力である。松江幸雄によれば、わが国へは、稲作をはじめ多くの作物とともに、江南地方から北九州にもたらされたことは、考古学資料によっても、可能性の高いルートになっている。この場合、朝鮮半島を経由のルートについては、朝鮮半島南部の彼岸花の生育地が、比較的新しいため、また「海上の道」と言われるルートも、生育地の南限が、種子島、屋久島となっており、沖縄では本土から移植した植栽地であることが判明しているため、同じく除外されるという。
球根にはリコリンという有毒物質がある。その毒を抜いて、飢饉の際の非常食としてきた。しかし、非常食にしていたというのは遠い昔の話ではない。1959年から3年間、中国で史上最悪の災害のとき、球根を食べてしのいだ地域があるという。また日本でも、食糧難から戦後もずっとヒガンバナを食べていたという高知県土佐山村の大藪操さんは、毒抜きの方法をつぎのように説明している。「球根を、布に包んだ消石灰と一緒に煮て、のり状になるとザルに移す。水を注げば有毒のアルカロイドが抜け、でんぷんが残る。それを半日水にさらす」(朝日新聞社『世界花の旅2』)。
秋の彼岸ごろに鮮やかな深紅の花を咲かせる。墓地にも多いので、死人花(しびとばな)、捨て子花などの名前もある。彼岸の供花として、墓地に植えたのだろうと考えられている。
また土手などに多いのは、食糧危機が去ったとき、球根をそこに捨てたからではないかという。球根からは、ほかの植物の発芽や生長を妨げる物質が出ていることも今日わかってきているが、昔の人はそのことを経験的に知っており、雑草対策に積極的にあぜに植えたのではないかとも考えられている。
墓地によく咲いたりするので、好みに合わないという人が多い。しかし毒素であるアルカロイドのリコリンを利用して、漢方では去痰剤や吐瀉剤に使う。また欧米ではヒガンバナ属Lycoris一般をリコリスと呼んで園芸植物としているので、ヒガンバナも球根が輸出されている。アメリカ南部諸州の庭園に植え、赤のヒガンバナ、レッド・スパイダーリリーの大群落となっているところがある(『世界花の旅』2)。
具志川村の仲宗根経済課長によれば、村ではどのように花の名所づくり進めるかについて模索していた。
村民が楽しめるようなものでなくてはならないが、よその真似をするような花の名所づくりをやってもしようがない。鑑賞価値の高い、自生の植物を有効に活用する。そして四季を通じて花と緑を楽しむことができるようにする。村民の協力を得ながら、基本的には、村の産業振興(苗木の委託生産、植栽や維持管理工事そのた)につながるような方法をとる。また、村の生活文化の向上、環境整備など、村を発展させるための総合的な視点を持って名所づくりを行う。ショウキズイセンはこの構想に合致した。
昨年(97年)は例年より少し早く9月中旬から開花した。花が咲くと見事な景観になり、評判を聞いて訪れる人が増えてきた。植え付け作業などを手伝いたいというボランティアも現れた。また小学校でもショウキズイセンの栽培を始めた。具志川村では、以前から子供たちも参加してクメジマツツジやヤエツバキの植栽を進めてきた。一年中楽しめるように、花の名所づくりを進めている。
ヒガンバナ研究家の松江幸雄氏によれば、赤いヒガンバナの群落は埼玉県高田市高麗本郷巾着田(こうらいほんごうきんちゃくだ)に300万球の群落がある。「高麗」が示唆しているように、かつて高麗人が持ってきたのではないかという。ほかにも何カ所か群落はある。しかし黄色い花のショウキズイセンの群落というのは聞いたことがないという。 (山門健一「景観とまちづくり」『沖縄大学紀要』第15号1998年)
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