ピカリと輝く沖大生!(54)沖縄戦の継承について 私ができることをいま!(国際コミュニケーション学科3年次 本村杏珠さん)
ピカリと輝く沖大生!(54)
夢に向かってがんばっている学生を紹介する『ピカリと輝く沖大生!』企画。54回目は国際コミュニケーション学科3年次の本村杏珠さんをご紹介します。
本村さんは、フリーランスでモデル活動のほか、浦添市の観光大使(てだこ大使)として浦添市の魅力を伝える活動をしています。また、昨年からは沖縄戦の継承活動に力を入れ、SNSを中心に発信を続けています。若い人たちにわかりやすく、きちんとした沖縄の歴史について情報を得られるようにと活動をしている本村さんにお話しを伺いました。
国際コミュニケーション学科3年次 本村杏珠さん(那覇商業高校出身)
沖縄大学に進学した理由や学んでいることについて
那覇商業高校の国際経済科出身で、語学を中心に学んでいたので、日本語教師になりたいという夢を叶えるために沖縄大学に進学しました。大学では共通科目で語学以外の科目も履修できるので副専攻で沖縄学を履修していて、沖縄関連の科目を学んでいくうちに沖縄戦や基地問題等にとても興味関心がでてきました。高校までの学校教育では慰霊の日の前に平和学習がある程度でしたから、沖縄大学で沖縄のことをきちんと学べるのは視野が広がり、目標や夢にも変化がでてきて、とても貴重なものだなと感じています。大学の学びは他(専門学校等)では学べないものが多くあり、有難いなとも思います。
現在の活動について
モデルのお仕事をフリーでやっています。昨年浦添市の観光大使に選ばれ、浦添の産業や文化、歴史等、浦添の魅力をお伝えする活動も行っています。
また、今特に力を入れて活動しているのが沖縄戦の継承についての活動です。きっかけは、新聞社に勤めていた母がスクラップした記事を、幼い私に見せ沖縄戦のことを知る機会を与えてくれていたこともありますが、沖縄戦を体験した方々の高齢化により、語り部のかたたちが少なくなってきているということを体感したのが活動するきっかけになりました。沖縄戦当時15歳で沖縄特設警備隊第223中隊(通称・永岡隊)に看護要員として加わり激しい戦火の中を生き抜いた翁長(旧姓善平)安子さんから直接お話しを聞く機会があり、対面でお話しをきくことの大事さと共に今後このような機会が減っていくことへの懸念、悲惨な出来事をきちんとかたり継ぐ工夫をしていかないといけないと実感したので、今わたしにできることを行動していかないとと、思っているところです。
具体的にはどのような活動をしているのですか
私は機会があれば平和学習やフィールドワークに参加しているので、私が学んだことや感じたことをSNSで発信しています。モデルをしているので、私に関心をもってくれた方がわたしのSNSを通じて沖縄戦のことやそれに繋がる情報を見て、「勉強になった」、「学びなおしたかったけど時間がなかったので知ることができて良かった」とコメントをいただけることはとても励みにもなっています。若い人たちは学ぶ機会がなかったり、時間がなかったり、それをわたしが工夫してお伝えできたらなと常に思っています。
来週は慰霊の日ですから、その前後ではまた情報を発信していく予定です。大学の友達も巻き込んでいけたらとゼミの仲間たちと慰霊の日当日は平和記念公園へ行き、私が学んだ沖縄戦のことについてお話ししたり平和の礎がどのように創られたのかについても話していこうと思います。(その模様は浦添市観光大使のSNSで配信予定)
今感じていることについて
ロシアのウクライナ侵攻についても心を痛めています。沖縄であった悲惨な戦争のことをきちんと若い人たちに伝え続け、今後の取り組みや行動を考えていく必要を感じます。高校生、大学生には今後の沖縄についてビジョンをしっかりもって考え行動してもらえたらと思います
今後の目標について
沖縄のことをきちんと学び、それを活かせる仕事に就きたいなと思っています。沖縄の歴史・文化を継承できる仕事や観光業についても興味があります。
メッセージ
大学での4年間、どう過ごすかは自分次第です。
地元、私たちが住んでいる沖縄に目を向ける、その視点をもってほしいと思います。沖縄から発信し続けている「平和」や「命どぅ宝」についても考えてほしいです。沖縄についてじっくり学べる大学での4年間、充実したものにしてほしいです。
沖縄戦に関する展示会にはできるだけ足を運んでいる本村さん