『単位互換制度を開始して43年!今年は9人の学生が沖縄大学で学んでいます』
沖縄大学が全国の大学に先駆けて1979年から取り組んできている国内派遣留学制度、昨年は新型コロナウイルスの影響で1年間中止となりましたが、今年は4月から受け入れを再開しています。9人の派遣学生の中から2人の学生にお話を伺いました。
経法商学科に所属し学びを深めている石井克彦さん(法政大学文学部3年)は前田舟子先生のゼミにも参加し、普天間基地のある宜野湾市について研究を行っています。
石井克彦さん(法政大学 文学部 3年次)
①法政大学ではどのようなことを学んでいますか。
地理学科の扱う分野は広く、地形・水質・気象といった理科系(自然地理学)の領域も含まれるのですが、私は主に、都市・経済・農業・歴史・文化といった、人文社会系の地理学に重点を置いて学んでいます。
②沖大で何を学ぼうと志望したのですか。
国内留学を決めた最大の理由は、以前から基地問題に関心を持っていたからです。その原点は、実家の近くにある米軍・自衛隊の厚木基地です。騒音を含め、日常の中で基地の存在を感じる地域で暮らす中で、ニュースで見た普天間飛行場移設問題を他人事とは思えず、それ以来、沖縄の基地について関心を持って、調べたり考えたりしてきました。
現在は、関心領域が広がっており、基地問題だけでなく、沖縄地域の歴史・文化・社会事情全般について学びたいと思っています。
前田ゼミでは、史跡等のフィールドワークを交えながら、琉球史を学んでいます。沖縄の場合、現在の土地利用について考えるときにも、その背景には、日本の「本土」とは大きく異なる歴史があります。そのため、沖縄の地域を研究する土台として、琉球史の知識を深めたいと思っています。
③実際に沖大に来てどうですか。
実際に沖大に来て、沖縄で生活する中で、他県とは異なる沖縄の「特殊性」を実感しています。最も分かりやすいのは、やはり米軍基地に関することです。実家のある神奈川県も「第2の基地県」と言われることがありますが、沖縄本島ではそれとは比べ物にならないほどの密度で基地が集中していると、実際に現地を回って実感しました。
そして、他県と比べて各市町村の面積が小さいこともあり、基地の影響が一つの市に留まらずに及んでいるということも、実際に来て気づいたことの一つです。例えば、前田ゼミで訪れた「浦添ようどれ」からは、那覇市・浦添市・宜野湾市・北谷町にまたがる地域を一望できたのが印象的でした。また、沖大の屋上から、那覇市の上空を普天間基地所属のオスプレイが飛ぶ様子が見えたのも記憶に残っています。
また、沖縄戦の痕跡がとても身近な場所にあるということも、他県とは大きく異なる点だと感じています。例えば、沖大の近くにある「山川橋(宇平橋)」は、沖縄戦で(南部への避難経路となり、)米軍の激しい攻撃を受けた場所です。しかし、現地に行ってみると、今では、知らなければ気づかず通り過ぎてしまうような、「ごく普通の郊外」だという印象を持ちました。それほど現在の生活空間に近接したところに、多くの人が亡くなった戦跡があるという感覚は、首都圏に住んでいた時とは大きく異なると感じました。
一方で、沖縄と他県との「共通性」も感じています。
例えば、宜野湾市は、市域の真ん中に「世界一危険」と言われる普天間基地があります。それゆえ、(特に全国メディアなどでは)その危険性や特殊性が強調されています。しかし、実際に街中を歩いてみると、公共施設や銀行のほか、スーパーや、首都圏にも出店している飲食チェーン店などが多数立地しており、他県の街と変わらない要素も多くあると気づきました。これが、ここで言う、他県との「共通性」です。「世界一危険」と言われる、「特殊」な低空飛行訓練が行われているすぐ下に広がっているのは、決して特殊な地域ではなく、他県の街と変わらない要素を持った、ある意味では「普通の街」なのだ、ともいえます。
こうした、他県との「共通性」を認識することで、沖縄の基地の現状について、他県の人も、自分の地元に引き付けて理解することができるのではないかと、国内留学に来てから考えるようになりました。
それから、「復帰50年」の日を沖縄で過ごすことができたことも貴重な経験になりました。5月15日の前後には、県内各地の博物館での展示・イベントや、ローカルテレビ・ラジオの特集番組などが連日企画されており、日本への「復帰」について、様々な角度から知ることができました。また、各科目の授業でも、「復帰50年」には必ず言及されていて、沖縄にとって重要な節目であることを改めて実感できました。
④沖大で学んだことを今後どのように活かしていくのですか。卒論構想など教えてください。
卒論では、宜野湾市をメインの対象地域とする予定です。統計データや文献資料などを用いながら、宜野湾市やその周辺地域の都市形成・土地利用の歴史と現状を分析しようと考えています。
その際には、必然的に、普天間基地によって生じている被害や影響を取り上げることになります。しかし、単に「基地の街」という側面だけではなく、産業や都市機能、あるいはビーチリゾートなど、色々な角度から、多面的に宜野湾市の特徴を分析したいと考えています。そして、他県との比較を重視し、他都市との共通性と、宜野湾市の特殊性の両方を明らかにしたいと思っています。
卒論執筆の他に、「抜粋版バスマップ」の製作を予定しています。
沖縄は顕著な「車社会」ですが、私は免許を持っていないため、各地を見て回る際には路線バスを利用しています。その際、(様々な案内は試みられているのですが、)複雑なバス路線を理解し、乗りこなすのは、なかなか難しいと感じています。
そこで、本数が多い路線を抜き出し、分かりやすく示した「抜粋版バスマップ」を作ろうと考えています。これによって、路線バスの利便性を上げることができれば、渋滞など、まちづくり上の課題解決にもつながると期待しています。
さらに、観光客にとっても、路線バスを利用することで、より地元の生活空間に近い視点で、沖縄の街を見て回ることが可能になるのではないかと感じています。
人文学部国際コミュニケーション学科に所属し、沖縄関連科目を履修している島口華穂さん(京都精華大学人文学部総合人文学科3年)は琉歌やおもろそうしの研究をしています。
島口華穂さん(京都精華大学 人文学部 3年次)
① 京都精華大学ではどのようなことを学んでいますか
文学が好きで総合人文学科の文学専攻に所属しています。高校時代から俳句や本が好きだったんですが、大学2年次からは「南島文学」「おもろそうし」、その中でも歌謡について興味を持ち、日本とは違う沖縄の文化等に心惹かれるようになりました。指導教員の先生も沖縄の大学出身で、沖縄の良さをいつも話してくださっていたので、沖縄の人との出会いや空気感を体感できればと派遣留学を決めました。
② 沖縄に実際にきてみていかがですか。
沖縄の魅力をひしひしと、感じています。沖縄大学に最初に来た日もキャンパスがきれいで、ここで学べることにとてもワクワクしました。講義も方言についてや沖縄の自然についてなど、興味深いものばかりです。時間があれば、歌碑巡りをしたり、琉歌に出てくる植物について調べたり、また現在はコロナ禍ということもあり琉歌の中にも疫病について歌った歌(疱瘡歌)があり、それらにも興味を持ち研究をしているところです。
③ 残りの派遣生活でやりたいことなど教えてください。
琉歌碑を見に離島にも行きたいと思います。やりたいことが山ほどあるのですが半年の留学なので短いなといまは感じています。
④ 今後の夢を聞かせてください。
大学院へいき、南島文学をより学び深め、若い世代にこの貴重な地域の文学を伝えていきたいという希望もありますが、大学受験や私立の大学に通わせてもらって親には学費面でもずっと負担かけていしまっているので、就職も視野に入れています。文学が好きで日本語の美しさを伝える編集の仕事に携われたらという気持ちと、文字を書くことの大切さを日々感じているので書くことを手助けする仕事や鉛筆の良さなど伝えることができる企業への就職も考えています。