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SPECIAL INTERVIEWS

本村杏珠さん

琉球朝日放送 報道制作局 記者

本村杏珠 さん (琉球朝日放送 報道制作局 記者)
17歳へ。

「自分のやりたいことに日々挑戦しつづけていけば、どこかにたどりつく」

2001年浦添市生まれ。那覇商業高校卒業後、沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科へ進学。大学入学後はモデル活動や2021年より浦添市の観光大使(てだこ大使)として浦添市の魅力を伝える活動を行う。また、沖縄戦の継承活動に力を入れている。2024年4月から琉球朝日放送報道制作局にて報道記者(警察担当)を務めている。

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    大学時代はどんなふうに過ごしていましたか?

    コロナ禍で入学当初からオンライン講義。マスクをしていて誰が誰かもわからないような大学生活のスタートでした。友達ができない、モニター越しにしか人と関われない・・・孤独を感じていました。日本語教員を目指して大学進学を決めたのに留学もできない。想像していた大学生活ではなく、やりたかったことがなにもできませんでした。
    そんななか、どうにかその状況を変えたいと行動したのがミスコン(浦添市てだこ大使)への挑戦でした。人と触れ合いたいとコンテストに応募し、選んでいただいて、県外の方に沖縄のことを伝える機会が増えました。もっと自分自身が沖縄のことを知らないといけないと気づく機会が多く、大学で「沖縄学」など沖縄をテーマにした講義を積極的に履修しました。ちょうど、そのころから大学生活も楽しくなってきました。
    社会人になって、ニュースの取材や企画制作においてもこれまでつちかってきたことはいきていると実感しています。

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    なぜメディアの仕事を選んだのですか?

    平和関連事業や沖縄戦関連のことを仕事にしたくて、当初は観光関連、市役所などへの就職を視野にいれていました。でも、メディアの役割を知る機会があり、それからはマスコミにしぼって就職活動をしました。北は青森の地方局にも挑戦し、沖縄戦を知らない地域に平和関連のことをどう伝えていけるかについて考えました。県内では社風に魅力を感じていた琉球朝日放送だけを受けました。希望通り就職できてほんとうによかったです。

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    記者の仕事はいかがですか?

    現在は警察担当の記者をしています。思っていた以上にやることがたくさんあります。現場で取材し、カメラマンに映像を撮影してもらうために情報を共有し、その後原稿出稿、デスク(編集長)に確認をもらって編集作業、長い特集企画の際にはBGMをつけたり、テロップを発注したり。沖縄県内で起こっている事件・事故にアンテナを張り、日々仕事をしています。24時間気を張っているといっても過言ではないのでたいへんではあります。でも、自分で作った特集が世に出るのはうれしいです。

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    壁にぶつかることはありますか?

    新人1年目で、わからないことが多く、壁にぶちあたってばかりです。裁判の記事を書く際には裁判関連用語を学ぶため、これまでは無縁だった六法の本を買って読んだり、自分が取材した事件・事故についてまとめたり。ひたすら、勉強勉強の日々です。悩んだときは先輩に相談して解決策をみつけたり、気分転換には好きなドライブで自然を見てリフレッシュしたりしています。

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    記者としてどんなことをやってみたいですか?

    沖縄戦について長編の企画をやりたいです。来年は戦後80年なので、各地域の戦争の足跡をめぐる企画ができないかと考えています。それとテレメンタリー(テレビ朝日系列局が制作するドキュメンタリー番組)を手がけるのが目標です。

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    17歳の自分に何をつたえたいですか?

    17歳の自分には、「やりがいのある仕事につけるよ!楽しみにしていて!」とつたえたいです。

    高校は那覇商業高校でした。登下校で琉球朝日放送の社屋近くを毎日通っていました、まさかそこではたらくことになるとは思いもしませんでした。高校時代の夢が徐々に変化して、平和の継承ができる仕事につきたいと思うようになり、活動をつづけた結果、いまの仕事を志すことになりました。高校時代には思いもしなかった場にいるのですが、日々、自分のやりたいことに挑戦しつづけていけば、どこかにたどりつくんだなと思います。

    沖縄の高校生たちには、「進路で悩む時期も周りに左右されずに自分の直感を大切に。自分がやりたいことを大事にしてほしい」と、つたえたいです。

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    テレビの役割はなんでしょうか?

    YouTubeなどの発達でテレビを視聴する機会が減り、テレビ離れが叫ばれています。でも、わたしは、テレビがつたえることのできる重要性、重みを感じています。入社してすぐ、8月に取り組んだのが沖縄国際大学ヘリ墜落事故20年の企画でした。事故の報道で、唯一QABの記者とカメラマンが現場に入り撮影を行っていたんです。その映像は永遠に残り、歴史になった。映像が何十年も受け継がれ、未来につなげられるということにテレビの強みがあるのではないかと感じました。わたしがいま取り組んでいることも、歴史に関わっていると思うとやりがいがある仕事です。

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    これから、どんな沖縄になっていってほしいですか?

    来年は戦後80年、戦争体験者が少なくなり、昔の沖縄を知っている人が少なくなることに危機感を抱いています。1人ひとりが先人の声をつむいで、いまの沖縄も過去の沖縄もきちんと見つめて、平和を大切にしていける、そんな沖縄になってほしいです。1人ひとりが沖縄の課題に興味関心を抱くことで、よりよい沖縄につながると信じています。