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SPECIAL INTERVIEWS

仲宗根梨乃さん

ダンスエンターテイナー/女優 現在、アメリカ合衆国ロサンゼルスを拠点に、全米やアジアで活躍中。

仲宗根梨乃 さん (ダンスエンターテイナー/女優 現在、アメリカ合衆国ロサンゼルスを拠点に、全米やアジアで活躍中。)
17歳へ。

チャンスがあればチャレンジし続ける。
後悔はしない。
失敗しても何かがわかるから。

1979年那覇市生まれ。小学校5年生のときにマイケル・ジャクソンに憧れ、19歳で渡米。大学に通いながらエンターテイメントの本場、ロサンゼルスにてダンスに本格的に取り組む。2004年に、ジャネット・ジャクソンのバックダンサーオーディションに合格。SHINee、少女時代、東方神起、Red Velvet、NCT127などのK-POPアーティストから、AKB48、ジャネット・ジャクソン、ブリトニー・スピアーズまで、日米韓のアーティストの振り付けや公演の演出を手掛けている。

  • 7

    ダンスをはじめたきっかけや進路選択について教えてください

    いつからというのは覚えていませんが、物心つく前からダンスと音楽がとにかく好きでした。母に聞くと、保育園のお遊戯はひとの分まで覚えて踊っていたみたいです。目標や夢という以前に、ただ大好きだからやりたいという感覚で、それが自然に仕事になっていきました。好きなことが仕事というのは本当にラッキーです。
    小学校5年のときに、マイケル・ジャクソンに影響されて「アメリカに行ってマイケルになる!」と決めました(笑)。頭の中は、それだけでした。英語を学び、必ずアメリカでダンスをすると、決意しました。
    英語と国際的な視野を学ぶために、那覇商業高校の国際経済科に進学し、高校2年生のときには交換留学で10ヵ月間オクラホマ州に行きました。そこでの生活が、学校、ダンス、いろんなカルチャーとの出会いと、とにかく楽しかった。帰国後は今まで以上に英語の勉強に励み、英語漬けの生活でした。基地内でのバイトもして、TOEFLの勉強とESL(注:外国人向けの英語)クラスを受講して。両親には渡米を反対されましたが、とにかくやりたい、絶対行かないといけないという気持ちを伝えて説得しました。当時はインターネット環境も知り合いもなく、自分で資料を集めて調べ、アメリカの大学に進学しました。
    両親が提示した渡米の条件が、必ず大学は卒業するということ。そのため、アメリカに行ってからも、学業をきちんとこなすことに必死でした。
    最初はサンディエゴに半年、その後、やはりダンスの本場に行きたいと思い、学校を変えてロサンゼルスでの生活をスタートさせました。それからはずっとロサンゼルスで生活しています。ロスは気候が沖縄に似ていて肌にあっているんでしょうね。

  • 7

    壁にぶつかったことはありますか?

    壁にぶつかったという感覚はありません。ダンスをやっていて大変なことは一切ないです。ただ楽しいだけ。できるようになるまで練習するだけ。「できない」ではなく、「できるようにする」世界なので、できるまでやる。プロとしてやるべきことをする、やるようにするのが当たり前というマインドです。困難は乗り越えられるからこそやってくるんですから。
    強いて言えば、アメリカ生活での壁は、ビザの取得でしょうか。01VISA(特殊技能ビザ)が必要なときに、何度オーディションを受けても受からず、ビザ取得につながらなかった時にはあせりを感じました。でもそういうときも解決策を考えながら行動していれば、助けてくれる人が現れるものです。悩みがあれば相談する。支えてくれる友達がいる。助け合う。Reach outする。たくさん支えられてきた分、わたしも誰かの支えになりたいと思います。

  • 7

    世界に挑戦し、あこがれの人とのお仕事がかなったときの心境は?

    ジャネット・ジャクソンとのお仕事のときは、夢のような現実で、心から感謝がわいてきてました。同時に“unbelievable”であってもあこがれの人との仕事だから浮足立つのではなく冷静でした。「わたしはプロ。だからやることをやる」、そういう意識でした。
    それと、信じられないほどの自信があったんです。「わたしはジャネット・ジャクソンのことを誰よりも知っている」と。ダンスをしているときはあこがれの人だと意識することはまったくなくて、一緒にアートをつくりあげるには自分はどのように表現をするか、できるかということに集中していました。

  • 7

    振り付け、演出、女優業・・・お仕事について教えてください。 

    つねに新しいことに挑戦して表現していきたいです。飽きるんですよ、わたし。でも、音楽、ダンス、アートに関してはまったく飽きない。いつもやりたいことをやっています。
    アートに対していろんな表現をしていきたい。音楽が好きだからコンサートの演出は相性があっていて楽しいです。次にチャレンジしたいことは、監督業かな。2時間という物語のなかで人に刺激を与えることができる映画のエンターテイメントとしての魅力に惹かれます。エンターテイメントに自分が救われてきたので。でも、次は〇〇を目指したいと限定せずに、やりたいことを常にやっていきたい。自分がやりたいことを今まで通りにやる。バランスを大事にしながら。それだけです。

  • 7

    梨乃さんにとって沖縄はどんな場所ですか?

    沖縄は常にある家、ホームです。いつでもつながっている感じ。だからこそ、どこにでも飛んでいけるし、どこに行ってもやりたいことができていると思います。
    私は、外に出たおかげで沖縄がより好きになり、沖縄のありがたさも感じています。いったん、外に飛び出すということは大大大おススメです。
    17歳の頃のわたしは沖縄で窮屈な感じがしていました。国際通りで音楽をかけて踊っていたら、音楽を止められたことがありました。自分の行動が変わっているというのはわかりますが、アメリカで同じことをしたらみんながいっしょに踊りだし、のってきてくれるんですよ。自分の表現の場はここではないなと感じました。
    世界を見ることは大事だと思いますが、沖縄にずっといて、活動しているすばらしい方々もたくさんいます。そんなすごい人にどんどん会ってほしい。刺激を受けてほしい。そうしていると自分にも何かできるんじゃないかと思えてくるようになります。

  • 7

    原動力となっているのはなんですか

    基本、自由人なんです。型にはまらずいろいろなことに挑戦していきたい。やるのがあたりまえ、やらないのがいやなんですよね。
    行動を起こさないと新しい世界はみえない。わたしは後悔したくない派です。失敗も成功につながります。何かがわかるから。常に挑戦です。
    わたしもオーディションにはたくさん落ちました。でも、チャンスがあるなら行動し続けるのみ。自分を信じてやり続ける。
    自分しかもっていないアイディアを恐れずに出すこと。アメリカでは、どれだけ相手に自分を印象づけられるかが勝負です。そういう環境ですし、それがないとサバイバルできない。
    どんなに怖くてもほんとにちょっとの勇気を出せば、機会も得られるし、もっと自分を好きになれて自信につながる。
    世界を変えようとする人をリスペクトしていますし、常に刺激を受けています。世界の問題について、地球に対して、自分に何ができるか考えますね。すべてはつながっていると思うので、アート以外にも視野を広げてバランスをとりながら自分がやりたいことをやるだけです。「なんくるないさー」。

  • 7

    17歳の自分に伝えたいことがありますか?

    「ありがとう」と伝えたいです。自分を信じて突き進んだ自分に感謝ですね。あと、そのときは自分のことしか見えてなかったので、まわりの人にも感謝してね、と伝えたいです。